ブログを始めたころの記事を読み返してみる(読者諸氏は読み返さなくてよいです。恥ずかしい)と、妙に饒舌で人目を意識したものが多いなと思う。理由はいろいろあるだろうが、ブログは「書けば読んでもらえるもの」だと思っていたせいかも。実際はまあ、この程度である。
 話は変わるけれど、紀貫之が書いた「土佐日記」というのがある。日本最古の日記文学だっけか(うろ覚え)。あれはどう見ても他人に読まれることを意識した日記だけれど、ネットどころか活版印刷もない時代にどうやって流通させたんだろう。親しい人に「ほら」って読ませて満足してたんだろうか。これは、他の古典文学にも共通する疑問だ。 貴族は暇人だ(たぶん)から、じゃんじゃん写本を作って配ったのかな?