杉並十小の転落事故について

 事故発生からずいぶん経ちますが、この記事を見に来てくださる方が今でもちらほらいます。ログを見ると、学校関係者もいたりして。しがない建築学生の意見が何かの役に立てば幸いです。

自分のmixi日記からコピペ。
1日たってみると、なんだか設計者に大きな責任があるかのような書き方をしている日記が増えているのでビックリ。事実誤認に基づくものも多く、あまりに我慢がならないのでもう一度、今度は「全体に公開」で書いてみる。
結論から言うと、今回の責任のウェイトは管理者(学校):設計者:児童(と保護者)=7:2:1くらいであろう、と思う。数字で表せるものでもないが、話をわかりやすくするため。

▼(管理者の責任)
 この校舎の屋上は、教員も含めた一般の利用者が立ち入ることを想定していない。心ある大人なら、シロートでも見ればわかる。天窓の周囲に手すりがないのは何度も言われているが、配管もむき出しで、空調機器にも囲いがない。ニュース映像を見るとわかるが、外周の手すり壁も捜査員の胸より下までしかない。メンテナンス業務や緊急避難以外で屋上に出ることが適当ではないのは一目瞭然。「屋上」とは言うものの、実質は「屋根」である。そんな場所に積極的に児童を立ち入らせたことを、重大な過失といわずしてなんと言おうか。
 安全上の問題もさることながら人の立ち入りを想定しない屋上の場合、防水仕上げが破損する恐れもある。不用意な立入は絶対に控えてもらいたいところ。
 また、図面を見たわけではない(今日、図書館に「新建築」を探しに行ったらすでに掲載号は借りられた後だった)が、設計事務所のサイトにあった写真やグーグルの衛星画像を見ると、杉並十小の校舎は教室以外のワークスペースがたいへん豊かな学校である。しかも公園の中に立地しており、わざわざ屋上に上がる必然性はないといってよかろう。
 過去にあった天窓関係の事故に引きずられてか、天窓の強度や天窓を設置すること自体に疑問を呈する報道やブログ記事をいくつか見た。しかし天窓云々は今回の事故の本質とは無関係だと私は思う。屋上へ続く扉から、一般の利用者が一歩外に踏み出してしまった事こそ、痛恨事として考察を深めるべきなのである。
 ところでこれまで類似の事故が起こったとき、「ウチのアレも、危ないからやめときませんか」と誰も言い出さなかったのだろうか。大の大人が揃いも揃って、である。先生方は新聞やテレビのニュースに触れる時間もないほど忙しいのだろうか。
以上が管理者(学校)の責任を最大に見積もった理由である。

 

▼(設計者の責任)
 正直なところ、初めは管理者責任が10割でいいだろ、と思った。理由は上述の通り。しかし将来建築の設計を志すものとしてそれもどうかと思いあれこれ考え直した結果、2割くらいは建築の人間が引き受けておくべきかも、と思った次第。
 たぶん20年前の杉並区は、屋上を学校の諸活動に使わないつもりで発注したのだろう*1。そして設計者は、その意図通りの設計をしたのだ。 もし一般の人の出入りを想定していたなら、外周には背丈より高いフェンスをめぐらせ、空調機器には囲いをつけ、足下を這う配管にはステップをかぶせただろう。そして天窓周りにも柵を設けたはずだ。世間がどう思っているか知らないが、建築家はお馬鹿さんではないのだ。
 しかし、万が一ということがある。ひょっとしたら、悪ガキが鍵を壊して入るかもしれない。ひょっとしたら、空調機を修理に来た作業員がめまいを起こして天窓に倒れこむかもしれない。 そんな「ありえない」事まで面倒見切れないと私も当初は思った。しかしこの天窓は12mもの吹き抜けの上にある天窓なのである。格別の配慮が必要だったと思う。たとえば、ステンレス製の落下防止金網が某社から出ている。 また「屋上に入ってはならない」という原則がきちんと伝えられない事態も、役所仕事の程度を考えれば想定できないことではない。
 それから事故に対する責任とは別の話だが、吹き抜けのようないわゆる標準的設計から外れたことをする場合、事故があれば社会から通常より大きな非難を受けることは明らかである。場合によっては、以後同様のデザインができなくなってしまう可能性だってある。更なる発展が期待できたかもしれないデザイン手法が死んでしまうのである。そういう観点からも、慎重な設計をして欲しかった。トップランナーの務めだと思う。(「奇抜な設計」と非難する人もいるが、私は、新しい試みをすることが悪いなどとは少しも思わない。時代は移り変わってゆくし、我々が今「普通の建築」と呼ぶものも初めはエキセントリックだったからだ。というか、現代の日本国で天窓なんて珍しくも無いと思うがねえ。「天窓はゼイタク」という批判もあるが、今どき天窓なんかゼイタクでもないし、そもそも貴賎貧富を問わず開かれた公共施設が多少ゼイタクで何がいけないんでしょう?)

▼(児童の責任)
 まあ、これについてはだいたい他の人が言うとおりでいいかな。 自分の頭で考える、自分の身を自分で守る、というのはどんな歳、状況でも大事なこと。12歳だって、いつかは大人にならなきゃいけないんだから。しかし子供にそれだけのことを要求するなら、いい年した先生方こそしっかりとした危険察知能力を備えているべきではありませんか。するとやはり・・・(初め↑に戻る)

ところでこの子をバカにしてる人たちは、12歳のころ本当にそんなにご立派な子供だったのかなあと疑問に思う。 

まあ、責任問題を考えるのはほどほどにして、再発防止策を考えるのが一番大事ですけどね。

・今日読み終えた本
(53)虚貌〈下〉 (幻冬舎文庫) 雫井脩介

*1:追記:実際にそうだったとの事。「洗濯物を干すなど、使用する可能性がある」とされた2階建て部分の屋上には柵を設置、天窓に近づけないようになっている